ハイデガー 「形而上学入門」

形而上学入門 (平凡社ライブラリー)

形而上学入門 (平凡社ライブラリー)

ハイデガーって今まで有名なわりにはぴんとこない人だったけど、この本を読んで結構感心した。まず、アジがうまい。本全体の1/3(100ページほど?)は「存在者とは何か?むしろ無があるのではないか?」(うろ覚え)という質問の意味について費やされていて、存在(being)とは何か?ということを問うことの難しさについて語っている。たしかにいきなり存在とはこうだって話始められると、だから何なんよって感じで面白さがわかりにくい。こういう風にこの問題のどこにパズルがあって、どうなったらこれが解けたということになるのかまず明確にしているところが非常に良い、面白い。素人にやさしい。そもそも自分の研究分野でオントロジーという言葉がふんだんに使われているわりにはその意味するところがよくわからない、というか、ラベル付単語ネットをなんでわざわざオントロジーなんていう仰々しい言葉で呼ぶのだろうか、なんて思っていたので、ハイデガーあたりでも読んでみようかと思って読みはじめたんだけど。結局、その答えは、昔のオントロジー(=存在論)はたしかにいろいろな意味をこめて存在について語っていたけど、いつしか、いつだっけ?、アリストテレス以降あたり、から存在論というのが学問としてかたまってきて、代表的なカテゴリー論を存在論と呼ぶようになった、ということらしい。なるほど、うちの業界で呼ぶオントロジーってたしかにカテゴリーからサブカテゴリーへの関係のグラフをよく指すからそのとおりだなっと、納得。でもそうなるとタクソノミーとどう違うんじゃ、とかいろいろ気になる。まぁどーでもいいけど。あと、これを読んで、日本語訳の存在っていう言葉がよくないんでは、という気がした。存在をさすもともとの言葉がsein(独), つまりbeing(英)なんだろうけど、beingとは何かといわれるのと存在とは何かといわれるのとではニュアンスがまったく違うと思う。beingとは何か、というほうが問題がまずわかりやすい。「存在の耐えられない軽さ」も英語だと``unbearable lightness of being''だし。関係ないか。ともあれ、beingを存在と訳すよりかは「であること」とか「ありよう」とかのほうがいい訳なんじゃなかろうか、と思う。で、beingとは何かってことだけど、その100ページほど使ってその難しさが語られるわけだけど、今となっては細かいことは忘れた。やっぱり読書感想文はすぐつけないとだめかも。覚えているのは、存在が全ての存在しているものの大元の概念、つまり、もっとも一般的な概念だとすると、何もかもを包摂してしまうので、情報がまったくない状態、つまり無になってしまう、ということ。カーペンターの逆向き型階層でいうと、ボトム。普通にいうとトップにあたるものか、と。だからむしろ無があるのではないか、というのはそういうことなんだろうけど、でも我々はやっぱりbeingについて語るわけで、それは決して空虚なものを指しているとは思えない。じゃ、beingってなんなんだろうって話が200ページほど使われて解説される。大雑把には、beingの対立概念、生成、えっとあとなんだっけ、4つぐらいなんかあったはずだけど、、beingの対立概念と比較することによって、beingの意味を明確にしていく、という論旨になっている。beingだけを考えるんじゃなくって、他のものとの差分から概念化される、もしくは解説されうるってことかな。まぁ、なんかかなり賢くなったような気がする良い本でした。